尼子奥都城
付近住所 島根県安来市広瀬町帳
この辺一帯を新宮谷と称し、尼子時代には、経久の三男国久率いる一党が、館を構え、権勢を誇っていたが、1554年(天文23年)甥であり娘聟でもある尼子当主晴久により、攻め滅ぼされた。
昭和16年、新宮党後裔久富二六氏が往時を偲んで、この碑を建立した。